岐阜県50代バイク乗りの備忘録

50歳を過ぎても岐阜県内をツーリング。新しいコース探しをする備忘録です。

50代になって、年末年始がしんどくなった理由

50代になって、年末年始がしんどくなった理由

ここ数年、年末年始が近づくたびに思うことがある。

正直に言うと、
昔ほど楽しみじゃない。

嫌いになったわけでもない。
何か嫌な出来事があったわけでもない。

ただ、しんどい。

この「しんどい」という感覚が、
なかなか言葉にしづらくて、
ずっと曖昧なままにしてきた。

でも50代になってから、
毎年同じように感じるということは、
たぶん、気のせいじゃない。

昔の年末年始は、もっと単純だった

若い頃の年末年始は、もっと分かりやすかった。

休みが嬉しい。
人に会うのが楽しい。
イベント感があってワクワクする。

それだけで十分だった。

多少無理をしても、
多少疲れても、
「まあいいか」で済ませられた。

体も動いたし、
気持ちも今ほど繊細じゃなかった。

あの頃は、
年末年始を「こなす」という感覚は、
ほとんどなかったと思う。

いつから、こんなに重く感じるようになったのか

はっきりとしたタイミングは分からない。

でも気づけば、
年末年始という言葉を聞くだけで、
少し気が重くなるようになっていた。

特別な予定があるわけでもないのに、
何となく落ち着かない。

休みなのに、
完全には気が休まらない。

この感覚は、
年を重ねるごとに、
少しずつ強くなっている気がする。

理由その1:体力の問題は、やっぱりある

きれいごとを言っても、
体力の問題は無視できない。

夜更かしがつらい。
連日の予定がしんどい。
生活リズムが崩れると、戻すのに時間がかかる。

昔なら気にならなかったことが、
確実に負担になっている。

年末年始は、
どうしても生活が不規則になりやすい。

その積み重ねが、
「しんどい」という感覚につながっているのは、
たぶん間違いない。

理由その2:人付き合いが、少し変わった

もうひとつ大きいのが、
人付き合いに対する気持ちの変化だ。

若い頃は、
人に会うこと自体がエネルギーになっていた。

多少気を使っても、
多少無理をしても、
それが当たり前だった。

でも今は違う。

人に会うのが嫌なわけじゃない。
ただ、その前後で、
確実に疲れるようになった。

楽しいけれど、消耗する。
そんな感覚に近い。

理由その3:「ちゃんとした年末年始」という幻想

年末年始には、
なぜか「こうあるべき」というイメージがつきまとう。

家はきれいに。
正月らしいことをして。
それなりに人と会って。

別に誰に強制されているわけでもない。

それでも、
そのイメージから外れると、
どこか落ち着かない。

50代になって、
この「幻想」に付き合うのが、
しんどくなってきた気がする。

本当は、静かに過ごしたいだけかもしれない

最近思うのは、
単純に、静かに過ごしたいだけなんじゃないか、ということだ。

何もしない時間。
誰にも気を使わない時間。
予定に追われない時間。

そういうものの価値が、
昔よりもはっきり分かるようになった。

だからこそ、
年末年始の賑やかさが、
少しだけ重く感じるのかもしれない。

年末年始を好きにならなくてもいい

年末年始が好きな人は、好きでいい。

でも、
しんどいと感じる人がいても、
それはおかしなことじゃないと思う。

無理に楽しもうとしなくていい。
無理に盛り上がらなくていい。

静かに終わらせたい一年があってもいい。

最近は、少しだけ割り切るようにしている

ここ数年は、
年末年始に対して、少し割り切るようにしている。

できることだけやる。
気が乗らないことは、無理にやらない。

それだけで、
年末年始が、
少し楽になった。

劇的に楽しいわけじゃない。
でも、しんどさは確実に減った。

たぶん、これも年を重ねるということ

年末年始がしんどくなったのは、
衰えだけが理由じゃないと思っている。

自分の気持ちに、
前より正直になっただけかもしれない。

何が好きで、
何がしんどいのか。

それが、
はっきり見えるようになった結果なのかもしれない。

同じように感じている人へ

もし、
年末年始がしんどいと感じている人がいたら、
それは自然なことだと思う。

無理に昔に戻ろうとしなくていい。
無理に周りに合わせなくていい。

今の自分に合った過ごし方で、
年を越せばいい。

この記事を読んで、
「自分だけじゃなかった」と思ってもらえたら、
それで十分だ。

年末年始は、
静かでもいい。
地味でもいい。

そう思える人が、
少しずつ増えていけばいいなと思う。