岐阜県50代バイク乗りの備忘録

50歳を過ぎても岐阜県内をツーリング。新しいコース探しをする備忘録です。

50代・地方暮らしの静かなクリスマスが、悪くないと思えるようになった

50代・地方暮らしの静かなクリスマスが、悪くないと思えるようになった

12月24日。

カレンダーを見ると、はっきり「クリスマスイブ」と書いてある。
テレビをつければ、特番やらイルミネーションやら、
ネットを見れば、楽しそうな写真がいくつも流れてくる。

でも、こちらの生活は、驚くほど静かだ。

特別な予定はない。
誰かと集まるわけでもない。
ケーキを予約したわけでもない。

若い頃なら、
この状況を「寂しい」と感じていたかもしれない。

でも今は、
なぜかそうは思わない。

昔のクリスマスは、もっと騒がしかった

若い頃のクリスマスは、今よりずっと分かりやすかった。

予定があるかどうかで、
気分が大きく左右された。

誰と過ごすのか。
何を食べるのか。
どこへ行くのか。

それらが揃っていないと、
どこか負けた気がした。

だから無理に予定を入れたり、
本当は気乗りしない集まりにも顔を出したりした。

「クリスマスは、そういうものだ」
そんな思い込みが、確かにあった。

地方のクリスマスは、拍子抜けするほど普通

地方に住んでいると、
クリスマスは驚くほど日常に溶け込んでいる。

都会のような大きなイルミネーションもない。
街全体が浮き足立つ感じもない。

コンビニにはチキンが並ぶし、
スーパーにはケーキが置かれる。

でもそれ以上でも、それ以下でもない。

最初の頃は、
少し物足りなさを感じたこともあった。

「こんなもんか」と思ったこともある。

50代になって、静けさが心地よくなった

でも50代になってから、
この静けさが、妙に心地よく感じるようになった。

騒がしくない。
比べられない。
無理に楽しむ必要がない。

ただ、いつもより少し寒い夜があって、
カレンダーが24日を指しているだけ。

それだけなのに、
なぜか気持ちは穏やかだ。

クリスマスに「意味」を求めなくなった

昔は、クリスマスに意味を求めていた。

誰かと過ごす意味。
特別なことをする意味。
思い出を作る意味。

でも今は、
意味がなくてもいいと思える。

何も起こらなくてもいい。
印象に残らなくてもいい。

「今年も無事にこの日を迎えた」
それだけで十分なんじゃないかと思うようになった。

一人で過ごすことが、特別じゃなくなった

一人で過ごすクリスマス。

以前なら、
わざわざ言い訳を考えていたかもしれない。

今は違う。

一人で過ごすこと自体が、
もう特別じゃない。

静かにテレビを見て、
適当に夕飯を済ませて、
いつも通りの時間に風呂に入る。

それでいい。

誰とも比べなくていい夜

クリスマスが少し苦手だった理由のひとつは、
無意識に人と比べてしまうからだと思う。

楽しそうな人。
幸せそうな家庭。
にぎやかな写真。

それらと自分を比べて、
勝手に落ち込んだり、
勝手に焦ったりしていた。

でも今は、
比べなくていいと、
はっきり思える。

何もしないことを選ぶ勇気

何もしないクリスマス。

これも、
ある意味では選択だと思っている。

無理に盛り上げない。
無理に参加しない。
無理に意味づけしない。

それは、
年を重ねたからこそ、
できるようになったことかもしれない。

静かな夜に、少しだけ感謝する

大きな幸せは感じなくてもいい。

ただ、
暖かい部屋があって、
食べるものがあって、
今日を終えられる。

それだけで、
悪くないクリスマスだと思う。

こんなクリスマスも、ありだと思う

もし、
今年のクリスマスが静かでも、
予定がなくても、

それを、
失敗だと思わなくていい。

にぎやかじゃないクリスマス。
特別じゃないクリスマス。

そんな夜を、
「悪くない」と思える人が、
少し増えたらいいなと思う。

50代のクリスマスは、
静かで、地味で、
でも、案外心地いい。