岐阜県50代バイク乗りの備忘録

50歳を過ぎても岐阜県内をツーリング。新しいコース探しをする備忘録です。

来年に、あまり期待しないことにした

来年に、あまり期待しないことにした

12月も終わりが見えてくると、
自然と「来年」という言葉をよく耳にする。

来年こそは。
来年はもっと。
来年はきっと。

そんな言葉が、
あちこちから聞こえてくる。

昔は、それに違和感を覚えなかった。

むしろ、
自分も同じように、
来年に期待する側だったと思う。

でも最近は、
少し距離を置くようになった。

期待することに、疲れてきた

来年に期待するのは、
決して悪いことじゃない。

目標を持つのも、
前向きに考えるのも、
立派なことだと思う。

ただ、
50代になってから、
少し疲れるようになった。

期待通りにいかなかった時の、
あの独特の疲れ。

「こんなはずじゃなかった」
という気持ちが、
静かに積み重なっていく感じ。

若い頃の「来年」とは、意味が違う

若い頃の来年は、
まだ見ぬ可能性みたいなものだった。

時間も体力も、
たっぷりある気がしていた。

多少無理をしても、
取り返せると思っていた。

でも今は違う。

一年の重みが、
昔よりはっきり分かる。

来年は、
「積み上がる一年」じゃなくて、
「減っていく一年」かもしれない。

期待しない=諦め、ではない

ここは、
誤解されやすいところだと思う。

来年に期待しないというのは、
何もかも諦めることじゃない。

やる気がないわけでも、
投げやりになっているわけでもない。

ただ、
過度な期待を乗せない、
というだけだ。

来年を「普通に過ごせたら十分」

最近の正直な気持ちは、これだ。

来年は、
普通に過ごせたら、それでいい。

大きな成功がなくてもいい。
劇的な変化がなくてもいい。

体を壊さず、
大きなトラブルもなく、
日々を終えられたら十分だ。

そう思えるようになったのは、
年を重ねたからだと思う。

目標を立てない年があってもいい

年末になると、
目標を立てるのが当たり前みたいな空気がある。

でも、
目標を立てない年があってもいい。

方向だけ決めて、
あとは流れに任せる。

それも、
立派な選択だと思う。

期待しない方が、今をちゃんと見られる

来年のことを考えすぎると、
今がぼやける。

まだ起きていない未来に、
気持ちを持っていかれる。

期待を減らすと、
今の状態がよく見える。

疲れているなら休めばいいし、
余裕があるなら少し動けばいい。

それだけのことに、
ちゃんと向き合える。

来年は「様子を見る年」でもいい

最近は、
来年を「様子を見る年」くらいに考えている。

無理に攻めない。
無理に変えない。

何か違うと感じたら、
その時に考えればいい。

50代は、
そういう柔らかさがあってもいい。

周りと同じでなくていい

周りが前向きでも、
自分まで同じである必要はない。

周りが盛り上がっていても、
自分が静かなら、それでいい。

来年に期待しないという選択は、
自分を守るための選択でもある。

静かに年を越すということ

今年の年末は、
静かに終わらせたいと思っている。

振り返りすぎず、
期待しすぎず。

ただ、
一年を終えた事実だけを、
受け取る。

このブログを読んでくれた人へ

この数日、
年末に向けて、
いくつかの記事を書いてきた。

疲れの話。
しんどさの話。
盛り上げない選択。
捨てたものの話。

どれも、
前向きな話ではなかったかもしれない。

でも、
正直な話ではあった。

来年に期待しなくても、今日を生きていればいい

来年に期待しなくても、
今日をちゃんと終えられればいい。

それだけで、
十分なんじゃないかと思っている。

50代の年末は、
静かでいい。
地味でいい。

そんな年の越し方を選ぶ人が、
いてもいい。

この記事を読んで、
少しでも気持ちが楽になった人がいたら、
それで今年は十分だ。